今日は1月12日。
生涯学習講座「歴史講座」の開催日です。
講師は忌部文化研究会 会長 林 博章 氏。
大嘗祭の歴史と内容をお話いただきました。
参加できなかった方のために、今日の講義内容をざっくり書き出します。
1月26日にも今日のお話の続きの講義がありますので、ぜひご参加ください。
世界農業遺産
講義の冒頭は、にし阿波の傾斜地農耕システムが世界農業遺産に認定されたお話から。
県西部2市2丁で受け継がれる「にし阿波の傾斜地農耕システム」に
国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に中四国で始めて認定されました。
このことは新聞にも掲載されご存知の方も多いかと思います。
この農耕システムを世界農業遺産への認定を目指しはじめたのが2013年(平成25年)の
1月から活動され、約5年かけての認定となりました。
講師の林先生もこの活動に携わっておられます。
世界農業遺産とは?
世界農業遺産とはその土地の環境を活かした伝統的な農業・農法や農業によって
育まれ維持されてきた土地利用、技術、農村文化や風習、風景、それを取り巻く
生物多様性の保全を目的に、世界的に重要な地域を国連食糧農業機関(FAO)が
認定するもだそうです。
剣山系の農業の特徴
剣山系(つるぎさんけい)は、日本最大の地すべり破砕帯で結晶片岩地域という
地質条件を基盤に、丘陵地帯の傾斜地でなく、V字型渓谷の急傾斜地における
持続可能な「農耕システム」が特徴となります。
傾斜地で畑を作る場合は、棚田のように傾斜面をフラットにして農作物を植えますが、
剣山系の農業は急傾斜地をそのままの状態で農作物を植えます。
傾斜地であるため抜群の排水性を誇る農業です。
さらに土壌の流出を防ぐためカヤを施用し、自然循環型の農業で
この畑地をカヤ場と呼びます。地元の方は肥場と呼ぶそうです。
世界農業遺産に認定されましたが、それ以前には農林省の「食と農の景勝地」や
「日本農業遺産」にも指定されているそうです。
阿波忌部と大嘗祭
徳島には阿波忌部がいて、阿波の地を開拓したとされています。
阿波忌部とは
阿波忌部の説明は、前にブログで書いた「ざっくり歴史講座」から引用します。
林先生の研究による考察によると、この徳島には弥生時代後半から古墳時代の前期にかけ、
吉野川流域を中心に勢力を展開していた集団がいたとかんがえられています。
この集団を「阿波勢力」と称しましょう。
この阿波勢力が海部(あまべ)と協力し、この阿波(徳島)の地域を開拓していったとされています。
海部は阿波勢力と同じかんじで海部勢力だと思ってください。
海部と協力し、阿波を開拓した阿波勢力は2世紀後半から4世紀頃に日本各地に進出。
ヤマト王権の成立に大きな影響を与えたと考えられています。
この阿波勢力がのちに阿波忌部とよばれることとなります。
この阿波忌部がこの阿波の地を開拓するときに麻(あさ)を植えて、
この地を開拓したことにより「麻植」(おえ)の名前が生まれました。
大嘗祭とは
大嘗祭(だいじょうさい)とは皇位継承儀礼の1つ。
皇位継承、すなわち新たな天皇が即位する時に行われる祭祀です。
昔は「おおにえのまつり」、または単に「おおにえ」と呼ばれていたそうです。
大嘗祭は農耕儀礼を母体として、天皇が即位して最初の「新嘗祭」(にいなめさい)のこと。
新嘗祭とは、収穫された新穀(稲穂)を神前に献上して感謝の念を捧げ、
これを神様(自然)からの贈りものとして食します。
神と人が共に飲食をすることから「神人共食」(しんじんきょうしょく)という儀式とも呼ばれています。
阿波忌部と大嘗祭の関係は説明すると長くなるので「ざっくり歴史講座 忌部とは」をご覧ください。
ホームページ右の水色のタグ郡の中の「忌部」からブログ記事が見つかります。
今回の林先生の講義の中で、徳島県の剣山系の伝統農業が世界農業遺産に認定され、
さらに今年の11月には大嘗祭が斎行されます。
この流れは日本の原点をみつめ未来を創る時代の到来だと林先生はおっしゃていました。
大嘗祭の意義として日本は建国以来、一度も王朝が断絶したことのない国である。
日本が辿ってきた歴史と記憶の再確認ができ、天皇の交替によって日本の起源となる
歴史を再生し現代に甦えらせる役目を儀式を執り行うことで果たしてきた。
日本ではグローバル化・国際化が叫ばれ、世界に進出し貢献する日本人の育成が求められている。
しかしその反面、日本人自らが日本の原点とは何か、日本とは何かを語れる人はほとんどいない。
自らが日本とは何かを語れるようになるために、大嘗祭という1つの節目に日本人としての
原点をみつめ、未来への一歩を踏み出せる機会になるのではと考えられています。
講義は大嘗祭の起源へと続きます。
大嘗祭の起源
大嘗祭の起源は新嘗祭(にいなめさい)。上記にも書きましたが新嘗祭とは、
収穫された新穀(稲穂)を神前に献上して感謝の念を捧げる儀礼。
起源は弥生時代にもなり、新嘗の習俗は古代より各地の一般的な農耕儀礼として行われていたそうです。
阿波忌部の大嘗祭の記録としては「古語拾遺」より平安初期に平城天皇に撰上した記録があるそうです。
さらに大嘗祭に必要な麁服調進。90代亀山天皇には三木宗時が調進したことや、
96代後醍醐天皇に三木長村が調進したことの文書が残されているのには驚きました。
南北朝の動乱以降、麁服調進は途絶えましたが、大正の大嘗祭で復活し、今に至るとのことです。
昭和の大嘗祭まで話されたところで時間切れ。続きは次回の1月26日の歴史講座に持ち越しとなりました。
ちなみに今回と次回の歴史講座の詳しい内容は天皇即位と大嘗祭に書かれています。
まぁ私のわかりにくいブログ記事より歴史講座に参加して林先生の講義をきかれるほうが
いいと思いますので是非1月26日は鴨島公民館へ!!